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  • 2009年07月08日

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人生最後の学校は…

2009.07.08 23:07 candy

今日はちゃんと、学校に行った。
昨日、あることに気付いたから。
それを養護教諭の先生に、Y先生に、伝えたかったから。
正直言うと、朝起きて雨がザーザー降ってるのを見て“学校行くの、止めようかな”ってちょっと思った。
でも私は、今日伝えたかった。
家族でもなく、友達でもなく、K高の先生に1番に伝えたかったの。

学校に着いて保健室に行くと、たくさん人がいてビックリした。
雨の日って、体調が悪くなる人、多いのかな…?
養護教諭の先生は美結華に気付くと、私を相談室に連れていってくれた。
保健室にいる人の中に知ってる人がいるかもしれないと、不安を感じてたから、すごくありがたかった。
相談室は誰もいなくて、私1人の空間で。
改めて、色んなことを落ち着いて考えることができたよ。
『今の愛結菜はきっと、頭で考えていることと心で思うことに違いがあるんだと思う。』
そう言ったのは、驚くべきことに私の母。
確かに母親の言う通りで“海月愛結菜”という1人の人間の中で、たくさんの矛盾が生じてる。
まるで噛み合わない歯車のように。
だけど、一致してるモノもある。
“大学へ進学すること”に関しては、頭の中でも心の中でも共通してるんだ。
そして昨日、もう1つ見つけた一致しているモノこそが、今日伝えたいと思ったことなの。
昼休みに入る少し前、迎えに来てくれた養護教諭の先生と一緒に保健室に戻った。
それから、養護教諭の先生が案内してくれたベッドに寝ていると、Y先生が来た。
私、言ったの。
Y先生に。
『K高を卒業したいです。』
って。
私はね、心のどこかで思ってた。
Y先生は応援してくれるだろうって。
だけど。。。
実際にY先生の口から出た言葉は、私が予期していたものとは全く違ってた。
『4・5月のペースでの欠席は、ある程度“仕方ない”で済む。
だけど、6月以降の状態を考えると、卒業はおろか進級も危うい。
もしも卒業したい・進級したいと思うなら、来週からでも教室へ行って授業に出なきゃいけない。』
…分かってたつもりだった。
高校は、義務教育じゃない。
それ故に、冷たいシステムであること。
承知していたつもりだった。
でも、現実を突き付けられたら目の前が真っ暗になってしまった。
心のどこかで、期待していたの。
何か、進級・卒業できる方法があるんじゃないかって。
だけど、やっぱり現実は厳しいもので。
Y先生はそれを、厳しく言い放った。
Y先生が悪いわけじゃない。
例えT先生でも、同じことを同じように厳しく言い放ったと思う。
事実だから。
事実を事実として伝える義務が、先生方にはあるんだ。
Y先生が保健室から出て行った後、カーテンで締め切られたベッドの中で涙した。
今のままの状態を続けるならば、私は近いうちに留年決定になる。
そして留年するくらいなら、私は退学を選ぶと思う。
だから私にとっては、“もうすぐ退学しなければならない”という現実を突き付けられたのと大差ないの。
K高を卒業したい、辞めたくない。
じゃあ、教室へ行けるかと言われれば、それも出来ない。
結局、辞めるしかないんだ。
K高が好き。
K高の生徒でいたい。
K高の制服を、もっと着ていたい。
でも、それらは全て叶わぬ想い。
決して、叶わない…。


涙を流し切った後は、放心状態。
養護教諭の先生がカーテンの隙間から顔を覗かせて
『海月さん』
と数回呼びかけても、私は無反応だったらしい。
何度目かで私が顔を向けると
『大丈夫?どうかした?』
と言って私がいるベッドの傍に来た。
そして、見つかっちゃったの。
左肘の傷。
肘は手首と違って目立たないと思っていたけれど、先生曰く肘も結構目立つらしい。
『またまたこれは深いね…。
止血に1時間くらいかかったんじゃない?』
傷をまじまじと見ていた先生のことばに、ビックリした。
自分では、そんなに深く切ったつもりはなかったし、止血にかかった時間はせいぜい15分程度だったから。
肘の傷は、自分では真正面から見ることが出来ないから何とも言えないけど。。。
そしてもっと衝撃的だったのは、肘の方が手首より痕が残りやすいってこと。
何とかって組織が、肘は少ないならなんだって。
肘は大きめの絆創膏をしていても違和感ない場所だから、この時期には最適だ、なんて思ってたけど、そうでもないみたい。
確かに1年前に切った傷痕も、両肘にしっかり残ってるしなぁ。。。

養護教諭の先生は、私が切ること、ODすることを無理に止めたり怒ったりしたことは1度もない。
だけど。。。
今日、私の肘に刻まれた新たな傷を目にした先生は、少しいつもと違ってて。
ギュッと、私の手を握り締めてくれたの。
責めることも、怒ることもなく、何も言わずに…。


何だかんだ言いつつも、全授業終了後に行われた英単コンクールには、ちゃっかり参加。
私の意思と言うよりは、Y先生と養護教諭の先生の勧めに従ったって感じだったけど。
2人共、今日私が学校に来たのは“英単テスト受けなくちゃ”という義務感が1番の理由だと思ってたみたい。
昨夜まで英単の存在を忘れていた私が、完璧な解答を出来るはずもなく、4分の1くらい空欄。
未完成な解答用紙を保健室に来たY先生に提出した後は、またまた少しお話を。
でも私は、ほとんど無反応。
少しでも動けば、また泣いてしまいそうだった。
Y先生のお話は、昼休みと同じような内容だったから。
『1人で帰れるか?』
って問いに、小さく頷くのがやっとだった。
『また学校おいでな?』
と行って保健室を立ち去っていったY先生に、心の中で
『もう、来ることはないと思います。
次に来る時は…退学届けを出す時です、きっと。。。』
と返した瞬間、涙が溢れた。
もう、辞めよう。
それ以外に残された道はない。
そう思ったの。
高校なんてしらない。
大学なんてしらない。
将来なんていらない。
投げやりな気分で、でも、強くそう思った。
泣き続ける私に
『1人で帰る元気ある?
お母さんに連絡するしようか?』
と言った養護教諭の先生の言葉に首を振ってカバンを持って立ち上がり、
『失礼しました。』
と言って保健室を後にした。
私が出て行く直前、
『また顔見せにおいでよ?』
と先生は言って下さった。
…Y先生も養護教諭の先生も、似たようなことを言う。
私が“もう来ません”という雰囲気でも纏っていたのかな…?

K高の校門を出る時、小さく
『さようなら。』
と呟いた。
『短い間だったけど、ありがとう。』
って。
涙が溢れた。
そして、強く強く思った。
私はK高が大好きなんだなって。
これ以上ないってくらい、強く。


転学はしない。
海月愛結菜が“通った”と言える高校は、K高だけでいい。
私の人生最後となる学校は、K高がいい。
K高じゃなきゃ、ダメなんだ。


人はいつも、失いかけてから、失ってから気付くんだ。
失いかけているモノ、失ったモノが、どれほど大切なモノであったかを。

毎日、何気なく登校していた頃、自分がこれほどまでにK高が好きだなんて思いもしなかった。
課題が多い、小テストが多い、休みがない、制服がダサいって、文句ばかり言ってたね。
だけど今は、それさえも、懐かしい……。


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プロフィール

海月 愛結菜

Author:海月 愛結菜
高校3年生
6月5日生まれ・18歳

2008年09月に精神科デビュー。
うつ病・境界性人格障害・不眠症。
現在投薬治療中。
リスカ・ODなど、自傷癖あり。
2008年・2009年11月には、自殺未遂によりICUに入院。


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