スポンサーサイト

--.--.-- --:-- candy

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

決意の日

2009.08.28 23:39 candy

今日は病院三昧の日だった。
まずは、一昨日にも行った某病院の形成外科に行って、手首と足の医療用テープの貼りかえを。
それから精神科の診察予約時間まで、まだ時間があったから眼科へGO。
コンタクトの残りがなくなっていたから、ちょうど良かった。
視力は上がってもなかったけれど、下がってもおらず、コンタクトは以前と同じ-4.0のものを2箱購入。
おまけで貰った洗浄液とコンタクト2箱が入った袋を下げて、急いで精神科へと向かった。
今日はなぜか、母親も一緒。
母曰く、精神科の受付にいる方から
『未成年ですし、ずっとご本人のみで来られているので、次回はお母様もご一緒されて下さい。』
との電話があったとか。
“未成年だから、精神科には保護者が必要!って言うのも、何だか変な話だな”なんて思いながらも、受付の方から言われたなら仕方がないし…
しぶしぶ、精神科のクリニックへ母親とIN。
午前の終わりの方の時間帯だったからか、あまり待たされずに診察室へと呼ばれた。
まずは、私1人が診察室へ。
ここまでは良かったの。
ここからが、最悪な展開だった。
診察室に入ると、いつも先生は、にこやかに
『こんにちは。調子はどうですか?』
とおっしゃるの。
でも、なぜか今日の先生は雰囲気が怖くて。
“こんにちは”と言うことも、調子を尋ねることもしなかった。
私が診察室の椅子に座り、恐る恐る先生の様子を伺おうとした時、
『…昨日、お母様がここに来られました。』
と、おっしゃった。
思ってもみなかった言葉に驚きを隠せずにいる私に、先生は続けて言った。
『お母様は、とても心配されていて、悩みに悩んだ末に、ここに来られたようです。
お母様のお話によると、海月さんは激しいリストカットや大量服薬を何度も繰り返していたようですが…
私はそんな事実を海月さんから一言も聞かされていなかったので、ショックを受けました。
また、薬をずいぶんと溜め込んでいるそうですね?
私は海月さんが“薬をちゃんと飲んでいる”ことを前提に今まで治療を進めて来ました。
海月さんに対して不信感を持つようになった今、薬の処方はもちろん、治療をすることも出来ません。
海月さんのような人に使う時間があるなら、もっと他の人に使いたいです。』
…………。
母親の言っていた、“受付の人からの電話”なんて、ウソだったんだ。
実際は、私と母親の話の真偽を確かめるために、先生から呼ばれたというもの。
どうして母親はウソをついたの?
それ以前に、どうして母親は1人で病院に来て勝手なことを先生に話したの?
………きっと、T先生だ。
先日渡した手紙の“あの時死ねなくて、今も死ぬことができずに生きていて…ごめんなさい”という最後の一文を読んだT先生が、母親に連絡したんだね。
私に直接手を差し伸べるのではなく、私を通り越して母親に連絡したんだ。。。
そして不安になった母親は、1人で病院へ言ったんだ…。
頭の中を懸命に整理していたら、先生がさらに言葉を続けた。
『海月さんの方から、私の不信感を拭えるようなことがあるならば、言ってください。』
と。
私は、リスカのことを隠しているつもりなんて全くなかった。
包帯を巻いているのだから、わざわざ言わなくても承知しているだろうと思っていただけ。
レグカに手を出してしまったことについては、今日の診察用にまとめたメモに書いていたし。
デパスでODして病院へ言ったことも、ちゃんと報告してた。
ただ、わざわざ報告するまでもないような軽いODについて、何も触れていなかったのは事実。
でも、“リスカ・OD衝動が治まらない”と毎回のように訴えているのに、ODしていないと思っていた先生の判断力の方に問題があるんじゃないかと思うのは、私だけなのかな…?
分からない、分からない、分からない。
頭の中がぐちゃぐちゃで、私は何一つキモチを口に出来ず、固まっていた。
そしたら先生は、
『…一旦、次の方に変わって下さい。
また後で話をしましょう。』
と言い放ったの。

待合室に戻った私は、イライラと悔しさと悲しさで一杯で。
すぐにでもリスカやODをしてしまいたい気分だった。
とにかく衝動を抑えようと、携帯でリアルの方の記事を打ち、思いをぶつけたけれど、治まらず…
携帯を壁に投げつけてしまったの。
音を聞き付けて、慌ててやって来た看護師さんが
『ちょっと落ち着こうね?』
と言って、携帯を拾い、私の手を優しく握ってくれた。
その手の暖かさで、私が思い出したのは、T先生の手の暖かさ。
イライラはウソのように治まって、悲しみだけが残り、涙が零れた。
“T先生、私の真意は先生に伝わらなかったんだね。”
“最後の最後のSOSだったのに…”
“せっかく少し信頼できるようになりつつあった母親への信頼も崩れて、薬も治療もなしになって、T先生へのSOSも届かなかったのなら、私はどうしたらいいの?”
頭の中は、そんな気持ちがぐるぐると巡っていて。
再び診察室に呼ばれた時には、もう死ぬことしか頭になかった。
母親と先生が会話をし、私は一言も言葉を発しないまま、診察終了。
診察室を出た時、行き場のない気持ちで一杯になっていた私は、再び携帯を床に投げつけた。
そしたら、看護師がまた飛んできてくれて。
だけど先生は、
『いいですよ、放っておいて。』
と言ったの。
後のことはよく覚えていないけれど、
“リストカットは、自分を傷つけるだけでなく周囲を傷つける最低な行為だ”
とか、
“話の合う他の病院の先生に診てもらってください”
とか、
“暴れるのであれば、入院、もしくは警察行きですよ”
とか言われた記憶がある。

診察料金を母親が支払い、病院の外に出た瞬間、私は近くのビルめがけてダッシュ。
ビルの屋上へ行って、そこから飛び降りるつもりだった。
だけど…
すぐに看護師さんに捕まって、親の車で強制送還されてしまった。


帰宅後、部屋で1人涙を流しながら“もう死ぬしかない、死のう…”と決意した。
半年なんて、保つわけがない。
T先生。
主治医。
母親。
大きな大きな救いの手を、私は3つ同時に失ってしまったのだから…。


スポンサーサイト

ありがとう

2009.08.27 23:39 candy

死ぬと決めた私だけれど、今日、普通に学校へ行った。
普通に、とは言っても遅刻で保健室登校だけど。
今日は夏期講習最終日であると共に、私が学校へ行く最後となる予定の日。
最後だから、なるべく明るい私でいたかったけれど、頭の中に“死”しかない私が明るく振る舞えるはずもなく、暗い雰囲気を纏っていたみたいで。
Y先生に
『今日は…調子良くない日みたいだね。』
なんて言われちゃった。
Y先生とは、9月からのお話を軽くした。
1日・2日に行われる実力テストのことや、単位の話が主。
実力テストは、定期テストではないから受けなくても大した問題にはならないらしい。
問題は、単位。
保健体育の単位が、早くも危機的状態にあるとか。
あと2コマ落としたら、アウトなんだって。
他の教科の単位はまだまだ余裕があるけれど、2週間に1度しか授業のない保健体育は、1時間1時間に重みがあるらしい。
そんな話を聞きながら、私は自殺に失敗した時のことを不安に思った。
もしも失敗した時、回復する頃には、私の留年は決定しているのではないか、って。
だから止めておこう、とならず、絶対に成功させなきゃって思うところが私らしいけれど。

養護教諭の先生は、私があまりにグッタリとしていたからか、ソファーに横にならせて下さった。
その時はもう、講習が終わって生徒がちらほらと下校していたけれど、
『元気になるまで、少し休んでから帰っていいよ。』
と言って下さったの。
それから、ソファーで横になった私の目線に合わせて前屈みになり、
『私は無力だけど…
私でも何か海月さんの力になれることはない?』
と。
私は、泣きそうになるのを堪えながら“大丈夫です”と答えた。
死ぬことを決意した私だけど、ううん、死ぬことを決意したからこそ、暖かさが倍に感じられて。
“あぁ…K高って、やっぱり暖かいなぁ”って思った。
しばらくして、養護教諭の先生は、事務の仕事があるから、と保健室を出て行こうとした。
そして、ふと足を止めて振り返り、こうおっしゃったの。
『絶対、また顔見せに来てね。』
って。
先生が保健室を出て行って、私は保健室に1人になと、我慢していた涙が零れ落ちた。
それは、悲しい涙なんかじゃなくて、とてもとても暖かい涙…。
5分ほど経って、ソファーから起き上がると私は養護教諭の先生に置き手紙を書いた。
『家に帰ります。
夏休み中、ご迷惑をおかけしてばかりで、申し訳ありませんでした。
先生にはとても感謝しています。
ありがとうございました。』
そう書いた紙を先生の机に置いて“K高、さようなら”と小さく呟いくと、保健室を後にした。
もう2度と来ることはないであろう場所を、目に焼き付けながら…。


K高で、たくさんのことを学んだ。
リサに、みかちゃんに、出会えた。
T先生やY先生、養護教諭の先生、学年主任の先生…
多くの暖かい先生方に恵まれた。
ねぇ、先生。
リサ、みかちゃん。
私は、あなた達に出会えて、幸せだったよ。
あなた達がいたから、私は今まで生き抜いてこれた。
死を決意してなお、こんな暖かな気持ちになれた。
みんなのおかげで、私は絶望の中で逝くのではなく、暖かな気持ちを胸に抱きつつ、逝くことができるよ。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

…さようなら。


過呼吸・最後のSOS

2009.08.26 23:39 candy

昨日の夕方、学校から病院へ行ったことで、父親ともめた。
父親は、
『あまり周りを巻き込んでばかりいると、いつか見捨てられるぞ。』
や、
『どうしてそこまでして切らなきゃならないんだ。』
などと言ってきた。
耐え切れなくなって、
『(私の)部屋から出て行ってよ!』
と私が叫ぶと、
『俺がいなくなればお前は治るのか。
それなら俺はこの家を出て行く。』
と。
私はただ、部屋から出て行ってほしかっただけなのに…。
そしてその後、私のことで両親が喧嘩。
私のせい。
全部、全部、私のせいなんだ…。
携帯の電源を切って、カミソリとタオルを持ち、ベランダへと出た。
涙がとまらなくて、泣きながら手首を切ろうとしたの。
だけど、そこには貼られたばかりの医療用テープ。
切るわけにはいかなかった。
“生きていてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。死ねなくてごめんなさい。”、そう小声で呟くと、また新たな涙が流れ落ちた。
ベランダに座り込んで、1・2時間くらいは泣き続けていたと思う。
とにかく、“夕食の用意が出来た”と母親が呼びに来るまで、ずっとその場に留まってたんだ。


そして、今日。
ちゃんと学校へ行って、昨日養護教諭の先生に立て替えて頂いていた治療費を払って来た。
本当は学校へ行く気力なんてなかったけれど、自分に鞭を打って登校。
保健室にはいつにも増してたくさんの生徒がいて、養護教諭の先生は忙しそうだった。
保健室常連客の私は、自然に放置にちかい状態になってしまう。
それは当然のことだけれど、昨夜、父親が発した“いつか見捨てられる”と言う言葉が頭の隅にこびりついて離れずにいた私にとっては、とてもキツかった。
Y先生が保健室にまで来て下さった時には、テンションは落ちるとこまで落ちていて、言葉を発することさえ出来なくて。
学年主任の先生が来て下さった時も、俯いて、先生からの問いに単語で答えるような状態だった。
そして、バカな私は、心の奥底で期待してたんだ。
昨日の手紙を受けて、T先生が私に会いに来て下さるんじゃないかって。
もちろん、多忙なT先生が私に会うために保健室にやって来る、なんてことはなく…
私は今までにないくらい強く、強く、“見捨てられた”と感じた。
私は、面倒な生徒、迷惑な生徒、イラナイ生徒…。
私なんて、いない方がいい、消えた方がいいんだ…。
そう思うと、涙が溢れてきて、涙と共に見捨てられることに対する不安も膨れ上がって。
過呼吸を起こしてしまったんだ。
過呼吸を起こすと、頭はボンヤリするし手足は痺れるし、キツいし、辛い。
養護教諭の先生は、過呼吸を起こしてしまった私に気付くと、ソファーに寝かせ、タオルで口を覆って下さった。
過呼吸により、倒れる寸前というほどフラフラになっていた私にとって、先生の素早い対処は、すごくありがたかった。

過呼吸が治まってから、養護教諭の先生は
『どうしたい?』
と聞いてきた。
家に帰るか、保健室で休んでいるか、どちらにするかという意味だったと思う。
でも、私が発した言葉は、
『T先生はいらっしゃいますか…?』
だった。
T先生から卒業するつもりでいたのに、実際は全然卒業なんて出来てなくて。
昨夜ベランダで泣いていた時も、過呼吸で苦しかった時も、心の中で助けを求めていたのは、T先生に、だったんだ。
養護教諭の先生は美結華の言葉を聞いて、T先生を呼びに職員室まで行って下さったの。
でも、T先生はいらっしゃらなかったみたい。
T先生が見当たらなかったことを私に告げた後、養護教諭の先生は
『海月さんがT先生が恋しくて、T先生に会いたいっていうのは分かった。
だけど、T先生に会って海月さんは何か自分の内にあるモノを話せるの?
話せるんだったら、今からまたT先生を探しに行くよ。
でも、話せないのなら、会っても意味がないんじゃないのかなって思ったんだけど…
実際、1年の時のことを思い返してみても、海月さんはいつも受け身だったでしょう?
ただ、先生に“私の方を向いて”じゃダメなのよ。』
とおっしゃったの。
それは、すごく的を射ている発言で、だからこそ私に強い衝撃を与えた。
あぁ、私はただの“構ってチャン”なんだ…。
そして、自分自身の“構ってほしい”気持ちで、周囲の人を巻き込んで迷惑をかけてる。
最低だ…。


明日が病院の日で、良かった。
そうじゃなかったら、死ぬ計画を実行に移してたかもしれないから…。
もうイヤなんだ。
世界が、家庭が、学校さえも、すごく冷たく冷ややかな空間のように感じられるの。
こんな調子で、2学期から大丈夫なのかな…。

結局T先生には会えず仕舞で、T先生が私の手紙を読んでくれたかさえも分からない。
最後の、SOS…
届かなかったんだね。。。


レグカ、縫合ならず。

2009.08.25 23:39 candy

昨夜、T先生に手紙を書いた。
“これが最後だよ”と、自分に言い聞かせながら。。。
手紙には、先日の無言電話に対する謝罪を、いつも頼ってばかり・迷惑をかけてばかりいることについての謝罪に始まり、先生のおかげで一時期でもリスカから離れることが出来ていたことについてのお礼を綴った。
T先生から卒業するために、最後に書く手紙のつもりだったけれど、どこかでまだ、甘えてる自分がいたのかもしれない。
手紙の最後の一文に、
『あの時死ねなくて、今も生きていて…ごめんなさい。』
なんて、弱気な、けれど心からの言葉を書いてしまったの。
その一文を読んで先生がどう思っただろうと考えると、すごく恥ずかしい。
後悔もしてる。
だけど、手紙が封印されることなく、T先生の手にちゃんと渡ったことに対して、安心もしてる。
今まで、T先生に宛てて書いたものの、渡せないまま終わってしまうことが大半だったから…。
T先生に手紙を渡して下さった養護教諭の先生には、感謝感謝だよ。。。

T先生の件に加えて、養護教諭の先生には今日、多大なる迷惑をかけてしまった。
“一昨日のレグカの傷が良くなりそうにない”と言うことで、病院へ行くことになったの。
病院へは、養護教諭の先生が連れて行って下さって、処置をしてもらっている間も、そばにいて下さって…
さらに、私がお金を持ち合わせていなかったために、料金までも出して下さった。
お金はもちろん、後日返すけれど。

病院へ行ったのは、縫合をしてもらうため、だったけれど、時間が経っていたために縫合は出来なくて。
代わりに医療用のテープを貼って、それで地道に治していくことになった。
手首の傷も、同じく医療用のテープによる処置で終了。
ただ、傷の経過を見ていくために明後日、また病院へ来るようにと指示されてしまった。
明後日は、今日行った病院へ行った後に精神科のクリニックへ行くという、ハードスケジュール。
自業自得なんだけどね。。。
明後日、病院へ行った時に新たな傷が出来ていたら、怒られちゃうかな…。
でも、何もせずに過ごす自信がないよ。。。


病院から学校へ帰って、出席日数や単位について、Y先生とお話を。
軽く話し合った後、“2学期から少しずつ教室に復帰していこう”という方向へと話がまとまった。
私もこのままでいてもいいとは全く思っていないし、少しずつ、少しずつでも前に進まなきゃいけないと、思っているしね。
教室に行くのは、怖いしキツいけれど、避けては通れない道だもん。。。


もうすぐ、両親が帰宅する時間。
病院へ行ったことは、Y先生の方から連絡がいっているはず。
…何て言われるのかな…。
不安。。。


紅に染まった包帯

2009.08.24 23:39 candy

昨夜、またレグカした。
レグカだけじゃなくて、ザックリと3本、リスカもした。
レグカの傷もリスカの傷も、今までで多分1番深いと言ってもいいほどの深さだったと思う。
足の傷の方は、脂肪の層がグチャグチャになっていたし。

足と手の止血をして、寝ようと思った時、左手に違和感が。
見てみると、再出血したらしくネット包帯が赤く染まり、血が滴り落ちてきていたの。
慌てて再び手首の止血をして、大きめの絆創膏を貼り、普通サイズの絆創膏を2枚貼り、ティッシュで押さえ、その上から包帯を巻いた。
寝ている間にまた出血をして、朝起きた時に、大変なことにならないためにも、慎重に出来る限りの処置をしたよ。
リスカやレグカをしたという痕跡も、全て無くしたはずだった。
だけど、久しぶりに早期覚醒した時、父親が姉に
『愛結菜、寝てるのか?』
と尋ね、“うん”と言った姉に
『昨日も切ってたな。血の跡があった。』
て言ってた。
この話はきっと、母親の耳にも入ってる。
イヤだなぁ。。。
自業自得なんだけど、さ。


こんな私だけど、今日も保健室に登校。
テンションは最悪で、養護教諭の先生から
『なんだか…ドツボにはまっちゃった感じだね。』
と言われてしまった。
リスカ・レグカのことを正直に打ち明け、傷を見せると、
『これは普通だったら、絶対に縫うよ!?』
といいながらも、処置をして下さったの。
そして、処置をしながらポツリと、
『もう私には、海月さんのレベルが分からない…』
とおっしゃった。
それから、
『いくらなんでも切りすぎだよ。』
とも。
先生には、全然そんなつもりなんて無かったのかもしれない。
だけど、私は見捨てられた、呆れられたように感じて。
目の前が真っ暗になったの。
そして頭の中は、“リスカ・OD”という文字だけが渦巻いてた。
だから、慌てて2つある携帯用お薬ケースのうちの1つを手に取り、保健室内にあるトイレへ。
そこで、レボトミンを1錠飲んだ。
それから、声を押し殺して泣いた。
何に対して自分が涙しているのかさえも分からなかったけれど、怖くてたまらなかったの。
しばらくすると、養護教諭の先生がドアをノック。
私が以前のように、トイレの中でリスカをしているかもしれない、と心配したみたい。
泣いている私を見て、養護教諭の先生は“今日は(保健室に)人が多いから”と、面談室に連れていって下さった。
面談室に1人になり、多少落ち着きを取り戻した頃、昨夜あまり眠れなかったせいか、レボトミンのせいか、眠気が…。
Y先生が面談室に入って来た際の音で目が覚めるまで、ずっと眠っていたみたい。
Y先生は、
『また切ったり飲んだりしたんだって?』
と言って、私の自傷癖が治らないことを心配しているんだとおっしゃった。
寝起きだったからか、まだ欝から抜け出せていなかったのか、私の応答は曖昧で。
それを見兼ねたY先生は
『海月は、欝モードに入っている時は何を言っても頭に入らないからなぁ…』
と言って、何か言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
きっと、2学期からのことについてのお話がしたかったんだと思う。
両親も、Y先生も、養護教諭の先生も、2学期からのことについて頻繁に口にするから…。


レグカのせいで、歩くと足が痛い。
リスカのせいで、左手は全く使えない。
軽いものを持つだけで、痛みが走るんだ。
それでも、リスカをアムカをレグカを。
止めようと思えない私は、バカだよね。。。


もう、全てがどうでもいいことのように感じられる。
私の中には2人ヒトがいて、脳内で会話をしているし…
メチャクチャだよ。。。


ブログの記録

カウンター

プロフィール

海月 愛結菜

Author:海月 愛結菜
高校3年生
6月5日生まれ・18歳

2008年09月に精神科デビュー。
うつ病・境界性人格障害・不眠症。
現在投薬治療中。
リスカ・ODなど、自傷癖あり。
2008年・2009年11月には、自殺未遂によりICUに入院。


詳しい経緯はこちら
詳しいプロフはこちら
当ブログによく出てくる人物紹介はこちら


*ブログについて*

愛結菜のブログ

検索フォーム

カレンダー

07 | 2009/08 | 09
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

ブロとも申請フォーム


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。